2005年02月27日
子供の頃食べたおはぎは甘かった
実家の母から祖母がまた倒れたとの連絡を受ける。
去年に引き続き二度目。
腰が90度に曲がり、視力をほとんど失って目も見えないおばあちゃん。
去年に引き続き二度目。
腰が90度に曲がり、視力をほとんど失って目も見えないおばあちゃん。
小学生の頃、夏休みに埼玉のおばあちゃんの家に行くのが年中の行事だった。田舎で野菜を作って暮らしているおばあちゃんのところに。田舎だけに大きな庭で花火をしたり、野球をして肥溜めにボールがはまったり、セミの抜け殻を珍しげに眺め箱に入れて持ち帰ったり。おばあちゃんの家に行って一番楽しかったのは、おばあちゃんのがま口財布から100円をもらって近所の駄菓子屋へお菓子を買いに行ったこと。その頃からおばあちゃんは目が悪くなっていたのか、100円玉を財布から取り出すのも苦労していた。でも買ったお菓子をほおばる僕達のことはちゃんと見てくれていたにちがいない。
覚悟はしている。
去年の春、おばあちゃんが倒れたとの連絡をうけ病院までお見舞いにいったとき、人間成長して大きくなったあと、それに反比例するように小さくなっていくことにびっくりした。何年ぶりかに会ったおばあちゃんの小ささに僕は正直ショックだった。小さく収縮しきったあとはもう土に埋もれるだけなのはそのときから覚悟していた。畑の肥やしになることは覚悟していた。
ただもうおばあちゃんが精魂込めて作ったごぼうやサトイモ、夏の頃裏山で取れるみょうがが食べれなくなることが少し悲しい…だいぶ悲しい。
去年、小さくなったおばあちゃんを見たあと、つらいことが重なって昼間から部屋に酒瓶をころがしたけど、今の僕の部屋にも酒瓶が転がっている。
人間生きていくうえで、おばあちゃんがつくってくれたおはぎのように甘いことばかりではない。
ただ悲しい。